「HSPチェックテスト」やってみましたか?
(まだの方はやってみてね「HSPチェックテスト?」です。)
このチェックテストを見て心配になったことがあります。
自主申告的テストなので、客観性にかけ、
このHSPという新しい概念に振り回され、
悩む人が増えるのではないかということ。
本当は他の症状かもしれないでしょう?
気になったのは、
まるで繊細なのは自分だけと言わんばかりの内容だなということです。
「デリケートな音楽などが好き」って、おかしくないですか?
ROCK音楽を奏でる人は繊細ではないということ?
大胆な絵を書く人も?
私はROCK音楽を聞いていると、その演奏者の繊細な心が伝わってきて、
「この人一般社会では生きていけないだろうな」と思って、胸が痛くなります。
繊細だからこそ、人の心に響く曲を演奏できるのでしょう。
逆にクラシックの演奏家でもガサツな勢いだけの演奏をする人もいます。
癒し系音楽のアーティストも最初は繊細な演奏だったのに、
有名になると自己陶酔的で雑な演奏をする人も見受けられます。
私はHSPと知ったのは3年前でも、
自分の特性にはずっと振り回されてきました。
私の地方の言葉では「神経たかり」という侮蔑的な言い方をします。
なにせスピリチュアル的な現象は勿論、
身体の血流まで感じたりするんですからやってられません。
少しずつ自分との付き合い方を見つけてきました。
すべての人は繊細で敏感だとおもいます。
なぜならそれは生きていくための能力だからです。
危険を察知し、他者と触れ合うために人の心を敏感に感じる。
痛みがあるのは体と心を保つためだと言います。
痛いから、手当てする。
もうけがしないように気を付ける。
けれど人間には強すぎる刺激を自然に中和する能力が備わっているそうです。
刺激の強い騒音などは聞こえないようにしたり、意識の外に出してしまったり、
丸ごと記憶から消してしまったり。
自分の心と体を守る能力が本来備わっているのです。
HSPと言われる人とそうじゃない人との違いは、
私はその自己調整能力にあると思います。
その力が多くの人は自動調整なのに対し、
手動式の人がいるのだと。
危険を誰よりも早く察知し、
種を守るためにそういう人が存在すると考えられているようです。
私の周辺には一見ガサツで豪快に見える、
とても繊細な人がいます。
他の方は気が付かないかもしれませんが、
人の心によく気が付き、
その繊細さを他者を気遣うことに使っています。
そして自分をよく知り、調整法も心得ている。
(いや、時々そうじゃないか。まあ、人間だし)
で、何が言いたいかというと、
もし、HSPという能力があるなら、
それを他者を思いやる方向に向けるのが、
HSPの人が幸せになる道なのではないかと言うことです。
逆に他者と自分を傷つけることに使ってほしくないです。
他者を傷つけることはHSPにとっては耐え難い罪悪感をもたらすはずです。
結局のところ、自分を傷つけます。
だから、チェックテストでHSPの可能性ありと出ても、
それに振り回されないでください。
自分の調整法を見つけてください。