I don’t know

私にはわからない。
私が、何者であるのか?
この生で、何を求められているのか?
何をするべきなのか?

この病気や痛みだらけの体。
次々に起こる、困難。
私を傷つけたがる人々。
つらさ。悲しさ。苦しさ。
そして、何を愛し、喜びとするのか?

どうして、このような場所・状況に身をおくことになったのか?
考えずにはいられないから、
この森歩きを始めた。

ここに記すよりもっと多くの文章が私の中にある。
他者にかかわりそうなものはできるだけ差し控えたが、
もっともっとたくさんの木が
私の中にあることを知っている。

きっと、知らないうちに見ようとしないでいるものもあるだろう。
いや、そういうほうが、多いのだろう。

けれど、もっと判らないことがある。

それは、
私は何者になりたいのか?
と、言うことだ。

このままでは、判らないことを知ろうとして、
思い出そうとして、理解しようとして、
できないまま、人生が終わってしまいそうだ。

まるで私の生が、
私以外の誰かに作られ、操られているかのように。
そう考えれば、たくさんの責任から逃れられるかのように。

今までの私はそう考えてきた。
それを知りたがってきた。
けれど、この生は、私のものだ。
私しだいでどうにでもなるのではないのか?

そこまで考えたとき、
では、私はどうありたいのか?
がわからない自分に気がついた。

しかし、これも、森歩きによって私が知ったことの一つだ。
そして、今までの森歩きの中に(人生の中に)
私が無意識のうちに選んできたものの中や、結果に、
それに対する私の感情に、私という人が現れているのだろう。

私は、逃げない。
この問いから。
もう、ずっと、逃げ続けてきたのだから。
どれだけの時間がかかっても。

私は、何になりたいのか?
どうありたいのか?

それを、この森の中から見つける。
私は必ず、見つけると、知っている。

2010、9、20記す


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