KEEP・気の持ちよう

精神病、例えば鬱や統合失調症などの
インターネット上のサイトには必ずと言っていいほど
親などの近親者に「気の持ちようなのだから」とか、
「気をしっかり持って」と言われ
「決して気のせいではない」と怒りを含んだ記述がある。
また、精神病系の本にも
「○○○が原因の病気であって
気の持ちようでどうにかなるものではない」と書かれている。
私も精神的に非常につらかった時、言われた記憶がある。

しかし、私がそこで気になるのは
「他の人は気の持ちようと言われたのは初めてなのか?」と言うことだ。

実は私は幼児の頃から何かにつけ
「気の持ちよう」だと言われて育ってきた。
何しろ頭痛も腹痛も微熱も「気の持ちようだ」と言われ
あまり病院にはいかなかった気がする。
ちょっとしたけがなら「気をしっかり持てば大丈夫」で、
暑くても寒くても気の持ちようでどうにかなると言われ続けてきた。
また私もアスペルガーの「言葉どおりに受け取る」と言う特徴からか、
本当に気の持ちようでどうにかなっていた気がする。

ここまで読むとなんと言う親かと思うようだが、
HSPだとわかった今、
この親から受けた教育はとても正しかったのだと感じている。
何しろ何かにつけ人より敏感なのだから、
物心ついた時には体中のどこかが痛かった。
においや音などにも敏感で、すぐに気持ち悪くなったりした。
そう言う私に親がいちいち心配して
病院へ行ったり薬を飲ませたりしていたら、
今頃私は、
外に出るにもびくびくする大人になっていたのではないかと思う。

実際、大変過保護な人が周囲にいる場合、
ちょっと鼻水が出たとか、頭が痛いと言おうものなら
「病院だ!薬だ!寝ていろ!」と言われ、
だからといって仕事が消えてなくなるわけではないので、
私のスケジュールは病院や休息に大幅に時間をとられ、
休むためにへとへとになる。
病気になったら大変だと、
毎日やりたいことも控え、
「健康を保つ」のが最優先になり、
それがストレスになって病気ばかりしていた。
今では多少のことなら大騒ぎされるのが嫌なので
言わないようにしている。

他の人の場合は判らないが、
私に関しては「気の持ちよう」で育てた親は大正解だったのだ。

私も子育てをしているから、
これはとても度胸のいることだし、
子どもを良く観察していないと言えない言葉だと思っている。

親に反発していた思春期の頃などには
「気のせいじゃない!」と言い返したこともあったし、
わざと病気になるようにしていた頃もあったかもしれない。
だから自分も「気の持ちよう」というのが
いいことなのかどうかわからないと思っていた。

しかし、HSPだとわかった今は、
私は本当に自分にぴったりの親を選んで
生まれてきたのだなと思って感謝している。


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