いじめ①

この森歩きを公開しようと思ったときから、
なるべく、自分以外の人のプライバシーにかかわることは、
極力書かないようにしようと思ってきた。
私は私なりに苦しいことの多い人生を送ってきたと思うが、
特に私を苦しめた人の細かなディティールは書かないようにしようと思う。

けれど、この「いじめ」と言うテーマは、
私の人格形成に大きな影響を与えたと思うので書くことにした。
また、たいていの人はいじめる側か、いじめられる側か、
見てみぬふりをした人かのどれかを必ず経験していると思うし、
人の親となった今、そのどの立場に立つにしても、
それなりの理由があると理解できる。
だから、今なら書くことができると思うのだ。

私の生まれ育ったところはいわゆる僻地で、
同級生は10人程度、しかも、
保育所から中学校卒業までメンバーが変わらないという環境だった。
つまり、いじめられた側はずっといじめられ続ける可能性がある。

私は小学1年生の頃からいじめられ始めた。
ある日突然だった。
無視、いやみ、意地悪、陥れられるなど、
ありとあらゆる手段を使っていじめられた。
けれど、実はいじめる側になったこともある。
いじめの中心になるのは必ずある一人の子で、
いじめられるのは、私ともう一人の女の子であることが多かった。
私がいじめられる側のときはもう一人の子がいじめる側になり、
その子がいじめる側のときは私がいじめられた。
いじめに加わらないと、私がいじめられる。
けれど「いじめられないために仕方なく」
などときれいごとを言うつもりは無い。
普段、いじめられ、苦しんでいる分、
私の中にははっきりと、怒りや恨みがあり、
それが噴出すように、いじめに加わっていた。
だが、そのどちらにいるにしても、とても苦しかった。
毎日学校へ行くのが嫌だった。
針のむしろと言う言葉を、子どもながらに実感した。

いつもいじめの中心の子にしたがっていた子達も、
きっと毎日びくびくしていたのだろう。
思いは同じだったのか、
皆でその子を仲間はずれにしようと何度か試みた。
だが、不思議とそれは長続きしなかった。
本来ならいじめなどしたくない子達には
その立場をとり続けるのが難しかったからだと思う。

死も考えた。
私を傷つける人たちへの復讐として。
けれど、私を可愛がってくれた祖父母が、
きっとすごくすごく悲しむだろうと思うと、できなかった。

(いじめ②に続く)


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