息子

出産予定日を1週間以上過ぎて入院し、
陣痛促進剤を使って2日後に長男は生まれた。
陣痛が起きてしばらくすると胎児の心音が下がり、
せっかく起きた陣痛も途中で止められた。
タイミング悪く、その日は勤務医の移動がある日で、
産婦人科は若い医師が一人しか居らず、
陣痛を止め帝王切開にする予定で準備が整った頃、
「やはり普通分娩で」と方針が変わり、
再び陣痛促進剤を使って陣痛を起こした。
生まれる頃には私の体力は限界になり、
母子ともに危険な状態になった。
最終的には移動してきたばかりで
まだホテルに宿泊していた医師を朝4時に呼び出し、
医師二人がかりでの吸引分娩にて長男は生まれた。
陣痛が起きてから28時間後のことだった。

長男は私の子どもとして生まれ出るのが嫌だったのかも知れない、と思う。

あれから十数年、息子はもうすでに思春期に入り、
自分の中の森を歩き始めた。
はじめ私はそれに気がつかず、
森の中から明るい場所へ無理やりにひきだそうとした。
森を歩いているのだと気がついてからは、
森を歩いた先輩として振る舞い、
あれこれと森の歩き方を教えようとしたが、
息子は私を拒絶し、
どんどんと暗い場所へ入り込んで私の目に見えないところへ行ってしまった。

息子の森の前にたたずみ、
ただひたすらに心配し、
森歩きなど簡単なのだと教えようとした。
だが、ある時やっと気がついた。
いや、本当はわかっていたのだ。
その手を離すのが怖かったのは自分なのだと。

息子には息子の冒険がある。
そして一人で探検できる力がある。
「森歩きなど簡単だ」とは
いつか息子が自分で気がつかなければいけないことなのである。
人は誰しも自分の中に深い森があることに気がつく。
だが、気がついても気づかぬ振りをする者も多く、
勇気あるものだけがその森に踏み入るのだ。

私は息子と一緒に森を歩くことは出来ないけれど、
知っている。
その森には太陽の光も降り注ぐし、
風も時に強く弱く森の中を抜けていく事を。
森の中にはたくさんの動物がいて、
知恵者のふくろうもいることを。
たとえ雨が降っても、それは森を、木々を潤す。

今も夜も眠れないほど心配していることに変わりない。
けれど私は私の森を歩くことに決めた。
そうした時、
本当は私も自分が迷子にならないことで精一杯なのに気がついた。

いつか森をぬけた息子と出会う時、
一人の人間同士として向かい合いたい。

息子は大丈夫だと、
そう祈るように信じている。

 

 

ブログに添えられた文章から 

「今日は親としての私についての文章です。
この文章を書いた当時は親子ともども大変でしたが(笑)
今、息子は数百キロ離れた土地の大学へ行って楽しくやっているようです。

当時の私は無様で、全然だめな親で、
迷って悩んで、それでも、真剣でした。
何もできないだめ親なので、
息子と向き合って真剣勝負で接することしかできないからです。

きっとまた同じようなことがあっても、
私はまた、みっともないくらい、
子どもから逃げずに、
そして、自分から逃げずに向き合うと思います。」


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