春よ、来い

それはNHK連続ドラマのテーマソングだった。
POPSには珍しい文語調の歌詞が素敵で、
ヒットチャートに上り、毎日のようにラジオから流れていた。
それでもその曲はほかのヒット曲とそう変わらない程度に好きなだけだった。

それが特別な曲になったのは16年前の2月だった。
その日の前日、私は8年住んだ札幌を離れ、
実家に戻った。
ただひたすらにかわいくて、愛おしい息子と、
まだ見ぬ、おなかの中から私を温め支えてくれる娘とともに。
私はもう何年も暗闇の中をさまよい続け、
その闇を見ないふりし続けていた。
これからどうなるのか、どうしたらいいのか全く分からず、
それでもそれ以上この暗闇にいることはできないということだけはわかっていた。
本能でここが暗闇の底だと知っていたような気がする。

毎日眠れずにいた。
実家へ帰ってもそれはかわらなかった。
その日も朝早くに目が覚め、
実家の台所から窓の外を見ていた。
いくら冬だとはいえ、
もう明るくなっていてもおかしくない時間だった。
けれど、外は暗く、
1メートル先も見えない吹雪。
その時、その曲が流れてきた。
「春よ、遠き春よ」
窓ガラスに途方に暮れたような自分の顔がうつっていた。
本当に春は来るのだろうか?
あの頃の私には信じようにも、
何をどう信じたらいいのか見当もつかなかった。

それから、何年もの月日が流れ、
その曲を年末の番組で聞いたとき、
あの頃の頼りない自分を遠くから見つめる私がいた。
その曲はその時の気持ちを思い出させて、
私の頬に涙が流れた。

あれからいろいろなことがあって、
それでも私は生きていて、
家族に囲まれている。
大変ということも言えるけれど、
もうここは暗闇ではない。

随分と遠くへ来た。

そう思った。

もし今暗闇にいる人がいたら、
大丈夫だよと伝えたい。
明るい未来が待っているなんてとても言えない。
あれから、これでもかというくらい大変なことがあった。
それでも、今、私は生きている。
体は細胞分裂を繰り返し、
心臓は休みなく体中に血液を送り続けている。
こんなにも一生謙命に私の体は生きようとしている。
弱り切った心を励ますように。

大変な時を乗り越えて、
今の私なら、春が来ないとしても、
この両足でガシガシと大地を踏みしめて前に突き進むだろう。
凍てつく大地の雪を漕いで、
氷を打ち砕いて。

そうして長い冬も、いつか終わり、
春は必ずやってくるのだということを知っている。

今の私は、ただ春を待つだけの私ではない。

生きる力は誰かからもらうものではない。
本来自分の中にあるものを見つければいい。
そうした時、初めて誰かの心にこたえられる。

小さな種は無限の力を秘めて、
「時」が来ると疑うことなく信じている。
だからこそ、芽吹くことができるのだ。
成長し、いつか枯れる時が来ても、
また新たな種となる。
芽吹いてから枯れるまでの間に、
日差しや、風や雨、踏みつける足、
手折る手、寄せる頬。
数限りない記憶を新たに加え続けながら。

そういう永遠を、私たちは本来持っているのだ。

春よ、来い。
早く、来い。

そう願ったあの時から、
春は、私の中にあった。
ずっと。
ずっと。


最終ページです

関連文章 暗闇

     

     闇の中の光

文章群「私の中の森」TOP