WPW症候群

人間ドックの心電図検査で「WPW症候群」の疑いありと出た。
たいていは一ヵ月後の結果通知のときに再検査が言い渡されるが、
私だけその場で病院への紹介状を渡され、
出来るだけ早く大きな病院の循環器科を受診するよう言われた。

帰宅してインターネットで調べたところ、
「WPW症候群」とは先天的に、
本来なら心臓に1本しかないはずのバイパスが2本以上あり、
心臓を動かす信号のようなものが余計に送られるため
時に頻脈になる軽度な心疾患らしい。
中には発作中に運悪く亡くなってしまう人もいるらしい。
1000人に1~2人の割合で見られる、割とよくある疾患のようだ。
あまりに発作がひどい人はカテーテル手術をすれば
90%以上の確率で治るとも書かれていた。

調べてすぐには「なんでもないこと」と思おうとした。
よくある疾患らしいし、
一生発作を起こさないで過ごす人もいるらしい。
だからたいしたことないのだと。

しかし、自分でも驚くほど動揺していた。
ただ単純に怖かった。
様々な不定愁訴がありながらもきっと
低空飛行のように大きな病気などせずに一生を過ごすものだと、
勝手に思い込んでいた。
涙が出そうになった。

だが、これがこの私のつたない森歩きを公表しようと思った
一番の動機となった。
その気はあったものの、
こんなつたない文章を人目にさらして誰が見てくれるだろうかとしり込みしていた。
けれどこんなにもいろいろな症状を持って生まれてきたのも、
きっと何か意味があるだろうと考えていた私に、
その背を押してくれたのがこの病気だった。

命ある限り、出来るだけ人の役に立ちたい。
それまでも漠然と思っていた思いが、ゆるぎないものになった。
目の前にあるものを愛し、人を愛し、すべてを愛し、
私に出来る限りのことをしよう。
それは特別なことではない。
「大丈夫だよ」とメッセージを送り続けること。
暗闇の中にいる人にこそそのメッセージを送り、
光の中にいる人にも暖かな何かを伝えたい。
ほんの一瞬の出会いでもそれが良き出会いとなるように。

そう思ったとき、
私はこの世界をこんなにも愛していることに気がついた。
ずっと私は「好き」とか「愛してる」とか言う気持ちが
わからない人だと思っていたのだが、
こわばった心の奥にその気持ちは埋もれた宝のようにあった。

困難はいつも私に何かを教えてくれる。
そのとき、私はいつも選んできた。
暖かき光のある方へ、ボロボロになりながらでも進むほうを。
それが、私という人間を作ってきたのだと思う。

しかし、これは後日談だが、紹介された病院へ行ったところ、
発作を起こすまでは何の心配も無く、
一生そのままで過ごせるかもしれないとのことで、
あんなに動揺した自分がばかみたいだと、
一人、笑ってしまった。

 

 

ブログに添えられた文章から

「これを書いたのは一年以上前です。
このまま発作もなくいくものと思っていたら、
先日心臓発作らしきものが・・・。
と、いうわけであわててブログ作りました(笑)」


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