いじめ③

いじめは小康状態になったものの、
常に緊張をはらんだ中学校生活が終わり、
その後私一人だけ皆とは別な進学校へ進んだので、
中学時代の同級生に会うことはほとんど無かった。

大人になって子どもを生み親になった頃、
いじめる側の中心にいた子の結婚披露宴の招待状が届いた。
当時私が住んでいた町からは車で6時間以上かかる。
まず、実家へ子どもを預けに行き、
そこからバスで数時間かけて結婚披露宴の行われる街まで行った。
その子と一緒にいじめる側にいた近くの町に住んでいる子達は
誰もいなかった。

披露宴の途中、
その子のご両親が挨拶にまわってこられた。
その子のお母さんは私のグラスに飲み物を注ぐと、
急に黙ってしまった。
しばらくの間、ずっと何も言わずにそこに立っていた。
私もお祝いの言葉を言い、何か話そうとしたが、
気の効いた言葉がうまく出てこなかった。
あの時、その人は、
もしかしたら私に何かを言おうとして
言えなかったのかも知れないと、
一人、勝手に想像している。
自分の子どもがいじめる側にいたことを、
きっと知っていただろうその人は、
もしかしたらそのことで、
ずっと苦しんでいたのかもしれない。
私も現在人の親であるが、
自分の子がいじめられるのも嫌だが、
いじめる側になるのはもっと嫌だ。
人を傷つけると言う行為は、
決して強いからではなく、
むしろひどく傷ついた心がそうさせると私は思うからだ。
(けれど、それは私が現在進行形で
傷つけられていないから思えることであるが。)
結局その人は何も言わず黙って頭を下げ、
次のテーブルへと移っていった。

中学時代の担任の先生も来ておられた。
私が近くへ行くと隣に座らせ、
思い出話などをした。
その中で、
「昔、あなたとあの子はけんかをして
あなたが泣いたことがあったっけね。」
と、先生が言った。
「けんかではない。」
私はとっさに思ったが、
不意にこぼれそうになった涙をこらえるのに必死で、
何もいえなくなった。
自分でひどく驚いた。
それはもうずっと前の子どもの頃のことなのに、
まだその傷が生々しい状態であるとは思ってもいなかったからだ。
何もいえないでいるうちにキャンドルサービスが始まり、
幸せそうなその子がテーブルに回ってきた。
私は笑顔で「おめでとう」と言いつつも、
自分の中にその子に対する恨みがあるのをはっきりと感じて、
心の中で思い切り悪口を言った。

大人気ない、狭量な自分を思い知る出来事だったが、
その後、その子に対するわだかまりが、
うそのように消えた。
別な子の結婚式で会ったとき、
まったく普通に話をすることができた。
またしても自分で意外だと思った。
人の心とは、まったく不思議なものだと思う。

これら一連のいじめに関することは、
私が自分の周りに見えないバリヤーをはり、
必要以上に人を近づけさせないし、
自分も近づかないという人格を作り上げた。
アスペルガー症候群は自閉症の一種とされるが、
それよりも、この体験が人との間に
距離を置くようにさせたと思っている。

またその一方で、
その後出会ったあらゆる方法で
私を傷つけようとする人などに苦しめられても、
耐える強さをもたらしてくれたと思っている。
(今は我慢するのだけがいい方法だとは思っていないが)

今はもう、その子達を恨む気持ちはまったく無い。
人の親になり、色々あって、
ここまで来た。
だからこそ、判ることがたくさんあった。

子どもとは、いや、人とは不完全なもので、
幼いならなおさらむき出しの心で人を傷つけもする。
その心に傷があるから、そうせずにはいられないのだ。
子どもはそれをかくすことを知らず、
他者を傷つけてしまう。
大人になり、
笑顔で相対する人の心の冷たさや遠さを知る今では、
熱を持ち、近いからこそ、
傷つけてしまうのだと思う。

人間ほど恐ろしい生き物はいない。
そして、それでも、
人間は良いものだと思う。

たくさんの人が私を傷つけてきた。
きっと私もたくさん傷つけてきた。
それでもたくさんの人に私は助けられてきた。

すべての出来事は、
私が私を知る手立てとなった。

そういうことを思うとき、
単純に「生きていて良かった」と思う。


次のページ 「KEEP・チョコレート」

関連文章  「いじめ①」

      「いじめ②」

      「アスペルガー症候群」

      「KEEP・気の持ちよう」

      「Suicide」